明智光秀首塚
谷性寺

付近住所 京都府亀岡市宮前町猪倉土山39


 当山は平安時代の創建になる真言宗の古刹で大覚寺派に属し、不動明王を本尊としている。天正年間明智光秀公は本尊不動明王を厚く崇敬し、将兵はその加護を得て、本能寺の変を決意するや、この不動明王に「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願をこらし、その高徳を得て本懐を遂げる。
 天正10年(1582年)山崎の戦いで無念の最期を遂げるも、公の崇敬厚い当山不動明王の許に墓碑建立、従者の記しが小型石碑に見える。
 安政2年(1855年)公を慕う志士あり、光秀公首塚を残す。
毎年初夏、境内は桔梗花一色に咲き乱れるところから、人呼んで「桔梗寺」という。
 昭和56年公の四百回忌に当たり、1350余名のもの相寄り、光秀公木像を安置して開眼供養を営む。
 1972年、日本国内最初の明智光秀公顕彰会が結成され、その善政と遺徳を偲び6月13日の命日を中心に遠忌法要が営まれ、平成15年には当山周辺の田畑を借り受け、約1万5千本の桔梗苗を植え込んで名実ともに「桔梗寺」の雰囲気が整う。